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諦めない

今週はまた自分の歌の下手さに落ち込んだ・・・。
声が細かく震えない・・・。
でも今までの落ち込みとは違う自分がいる。
ただ落ち込んで、心も身体も硬くなって、動けなくなって、
何もしないで、寝ることに逃げ込んでしまう自分ではない。

その違いは、諦めているか諦めてないかだ。
今まで、いくら「諦めない」と何十回も決意した私だが、言葉だけだった。
自分を振るい立たせるのには必要だった。
でも、心が諦めきっていた。
自分自身というものを信用できてなかった。

でも、自分で自分の病気を治すことはできたじゃないか。
心と身体が繋がっていることを体感してきたじゃないか。
身体のことができたなら、声も身体から、自分自身から出てくるものじゃないか。
だから、自分のこと、自分の声は、
いくらでも、自分で変えられるものじゃないか。
細胞レベルで感じればいいことじゃないか。

ヘッドホンで聴くと、曖昧に聴いていた音が前より、聴き取れる。
ウタダのすすり泣きが。
寂しい、悲しい気持ちが伝わってくる。
泣いている気持ちが、そのまま気持ちになっているのが伝わってくる。
だから、私自身も泣いてしまう。
泣くことは、心を流すことは心地よい。
母が抑えてしまった感情だ。
私は涙を止めてはいけない。
「あの子・・・」という詩に、私の心も反応して泣く。

軽く歌っているように聴こえて、腹筋が使われているのがわかる。
実際、心から大泣きしたときは、お腹をつかうもの・・・。
口先じゃなく、魂が身体からお腹から叫んでるから、
あの震え声になるのだと思った。
でも、ただ大声で叫ぶんじゃなく、心の叫びだと思った。
内面のものだから、静かで、繊細で、おびえている・・・。
何かにおびえてる感情を私も自覚して歌おう。
表面だけ綺麗に歌おうとしても、大きく揺れる演歌の揺れになる。

息を吸う声自体も、そのまま歌の一部にもなっている。
すごく素直な感情のままが、歌にのせられている。
だから、この歌は、メロディー自体がない。
詩が全てで、語りの曲だ。
今まで、私が歌ってきた曲とはまるで違うので、
なかなか曲が頭に入ってこなかった・・・。
何回も聴いて一緒に歌って、詩の意味を感じて、はじめて覚えられた。
詩自体が、魅力で曲になっていて、
言葉自体に感情をのせ、それに音がついている。
天性の感性だ。
ウタダの感覚は凄い。

だから、いっぱい聴いている。火曜日の夜からずっと。
歩いていても、台所でも、お風呂場でも、ずっと歌っている。

自分で練習できるように、やっとなってきた。
まだまだ前からの歌の癖は抜けてないのだと思うけど、
意識して、新しい歌い方を探す。
息もはけてないし、細かい震えもつかないけど、
ひたすら、歌うことだけは私にも出来る。

いつか絶対に歌えるようにする。

このままじゃ、悔しい。

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