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自分

私は、命がけで生きたことが無い。

本気で一生懸命、真剣に生きたことが無い。
不真面目で、ふざけてる人生だ。
そして気持ちよく楽しくふざけたこともないから、そのことにも欲求不満のままで、
楽しいことをしたことが無い自分をつまらなく思っている。

楽しいことをするんじゃなくて、手抜きと言う意味の「楽」なことしかしない。
だから何もかも中途半端で、真剣に遊ぶも、真剣に学ぶもできない。

私は、自分のことが嫌いだった。
今までずっとずっと嫌いだった。
自分を嫌うことは、自分を粗末にすることだとわかった今でも、嫌いだった。

学生の頃から、大人しくて、面白みの無い自分が嫌いだった。
真面目で固くて、優等生に見られる自分が嫌いだった。
ただ、運動が苦手で動けないのと、
話することが苦手で大人しくしているだけなのに、
中身は何の努力もしない不真面目な私なのに、
真面目と言われるのが嫌だった。

真面目に見られることには反発して、
嫌いなことはまったく取り組まず、そのままにして努力しなかった。
宿題はするけど、一生懸命に勉強したことは一度も無い。
教室で授業を聞いていれば理解できること以上の努力をしたことがない。
弟への反発もあったかもしれない。
弟は何も勉強しなくても、とてもよく出来た。
勉強は生れつきで決まるものなのだからと、
努力することを諦めていた。

高校の頃は、面白くない私に、誰も近づかなくなっても、
「私は私」と友達を作る努力より、一人でいた。
寂しい気持ちも、押さえ込んだ。

高校は絵の学校だったので、
友達はいなくても、「絵を描いてる」時だけは楽しかった。
それがあるから、続けられた。

大学は工芸科で「染色」は設備や用具や場所がいるので、家ではできない。
毎日のように学校に行って、作品を作った。
与えられた課題の中で、作品をいっぱい作っていくことはとても楽しかった。
毎日のように学校に行く私はやはり、同級生には真面目人間に映っていたようだ。

でも、卒業し、環境が変わって、作品つくりが出来なくなった時、
私は、それ以上のことをする努力や行動力にまったく欠けていた。

与えられた環境の中で、与えられた課題の中では一生懸命できても、
新しい壁に対して、それ以上の努力はしなかった。

すぐ諦める私は、そこで止まってしまった。

真面目に一生懸命やって、なにかを極めようとしたことが一回も無い。
苦手なことは最初から手をつけない。
好きなことさえ、自分の出来る限界まで挑戦したことが無い。
自分の可能性を信じたことが無い。

卒業し、中学の先生になったものの、いい先生になる努力もせず、
ただ、逃げるようにして辞めたから、引き篭りになった。
引き篭りになったままの自分を変えようともせず、
自分が嫌いなことを悩むことからも逃げた。

でも、この私の固くて、真面目で、面白くもない自分、
楽しさを持たない自分を嫌うことを止める!
そういう自分をありのままに受け入れることなんだとわかった!

私は、真面目な自分のままに絵や音楽に真剣に取り組めばいいということが、
やっとわかった。
そうすれば、自然にそれが、私の魅力につながっていくことがやっとわかった。
真面目で不器用で根暗な自分を嫌うから、いつまでも不真面目なまま、
真剣さも身に付けられないことがやっとわかった。


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怒り

私は、病院の医者にどんなに嫌なことをされようが、
どんなに傷つくことを言われようが、怒りを押さえ込んでいた。
それどころか、こんなに酷いことされても耐えてきたんだから、
「最後まで責任とってくれ」という、他人任せの依存状態だった。

その思いは恨みになっていたはずなのだが、
恨んでいる事さえ気がつかずに、病院に通い続けた。
そして、最後に医者に捨てられた。
守ってくれるはずの子宮を切り取ると言われたのだ。

そこの時点になって、やっと私は医者から逃げた。
自分の身体を守るために。
辛い治療をしても残した私の子宮を守るために。
でも、辛い治療をしたからこそ、やっとやっと出た怒りだった。
それくらい、私の怒りは出てこないし、
恨みさえ気がつかないほどのものだった。
恨みからさえ逃げていた。
そして、私は死ぬような病気じゃなかったし、
辛い治療はしても、人とは違った経験はしても、
平凡な普通な暮らしなのだと、人生から逃げていた。

母は私より、もっともっと病気ばかりの人生だったのに、
医者任せのまま、薬づけのままでも、悩まなかった。
最後の最後まで、
いつも笑顔で、優しい人だったとみんなに言われながら、
怒ることなく、キレルことなく、
「なんで、こんな身体になったのだ!」と嘆くこともなく、
わめくことも無く、泣くことも無く、一人きりで死んでいった。

無感覚だ!
まったくの無感覚だ。
諦めきった人生だ。

怒ることから逃げると、そういうことになる。

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キッズTV

私は活動日に休んでしまった。
まず、その場に参加もできていないことが問題外の悪いことだった。
そのくらい私の意識はまだまだ低かった。
その場にいたら、もちろんみんなと同じだった。
でも、その同じ立場にもなれていなかった。
それだけ、みんなに溶け込めていなかった。
自分で自分の居場所をつくろうとしていなかった。

そしてショックだった。
そんな自分を省みるきっかけになった。

私は真剣さが足りない。
熱さが足りない。
生き方がふざけてる。
そこをもう一度ちゃんと反省する。

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絶対にあるもの

私はみんなのブログを毎日のように読んでいる。
それなのに自分はなかなか書き込めない。
それは今まで私の中のなにかがせき止めていたから。

毎日書けば、自分が進めることがわかっているのにやらない。
何かが変わるかもしれないとわかるのにやらない。

私の中の天邪鬼がやらない。
私の中の怠け心がやらない。
私の中の捻くれものがやらない。
私の中の僻み根性がやらない。

でも本当は書いて、自分を表現してみたいと言う思いもある。
絶対にある。

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風邪2

風邪がぬけない。
咳は相変わらずいっぱい出るし、頭痛も抜けない。
食欲もあまりなく、少しだけだが体重も減った。

でも、一週間もあれば治ると思っていたのに、
ここまで気分がすぐれないのは理由があるのではないか。
私の怠けた心が動けなくしているのではないだろうか。

足湯とお風呂は、今までの中で一番ちゃんとやった。
でも今までが足り無すぎたのだ。
いくら、いいことはわかっているのに、一日二回が限度だった。
今回はやっと3回。多い日は4回。
やっとだ。
それだから、私の足はまだ斑にしか赤くならない。
下半身は真っ赤になるが、上半身は赤くならない。
私はすぐ、疲れるからと、その先をやらず、自分で甘くしてしまう。
たしかに、クタクタだ。
でもやらなければ、一生クタクタだ。
一生クタクタでいいかということに、本気で取り組んでいない。
そのダメさかげんをちゃんと見つめる。


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ボイトレ(11日)の反省

自分の歌なのに、自分のことをまるで見つめられなかった。
先生の言葉の上っ面だけを捉えるから、まるっきり違う選曲をした。
先生は「AI」の2倍出せる曲を選びなさいと言ったのだった。
それは、身体を使って振り絞るような歌い方の歌手をお手本にして、
自分の身体を使えるようになるために歌うように、言ってくれた言葉だった。

「今のままじゃ変われない」
だから、「自分の限界を超える曲を歌う」
「いつも安全権のなかにいて、その中でも
自分の出来る範囲のなかでしか歌っていない。
できるなかでもさらに50パーセントの努力しかしていない。
AIと同じように歌いたいなら、
AIの10倍声がでるくらいにならなければ、同じには歌えない。」

今の私は、いくらAIの歌を歌っても、表面でしか歌えないから、
基礎ができてないから、訓練が足りないから、
ただ、力を抜く練習だけをしてもだめだという言葉だったと思う。

でも、それでも「感情をいれて、感情を表現できるようにする」
ことは基本だ。
その根本をすぐに忘れて、
ただ、上っ面の、声の音量をあげることだけに囚われた。
このところのレっスンの流れをちゃんと理解していれば、
そんなことにならなかったはずだ。
「これから自分が成長するために歌」の選択だ。
「身体のなかからあるれ出るような音楽のりを感じられるように
なるために、この一年をこれから仕切りなおす」
そのための曲だ。
ちゃんと自分の歌をみつめていれば、
そんな「ただ怒鳴る」なんてことしなかったはずだ。
曲もはじめての知らない曲を「騒音」の声でなんか歌わなかったはずだ。

私がふざけた奴だからだ。
真剣さが足りない奴だからだ。
自分のことをちゃんとみつめていない最低な奴だからだ。
自分の基本をこれから
ちゃんとつくる。

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風邪

風邪をひいた。

最初の日は、しゃべる声がおかしくなって低くなったが

喉の痛みはあまりなく、すぐ咳になった。

とにかく身体がだるくてだるくてだるい。

あとは関節が痛いのと、咳がけっこう出て、止まらないときは苦しい。

鼻水も多くてテッシュをやたらに使っている。

今朝は頭痛で目がさめたのだが、お風呂に入ったり

寝たりを繰り返していたら、今は頭痛は取れてきた。

風邪になってから今日で5日なのだけど、

昨日あたりから、腰の飛び出ている背骨が痛いのを感じるようになった。

お風呂にいっぱい入っているから、やっと身体がほぐれてきたのかな。

とにかく、お風呂に入ると、出る時には立ってられなくて座りこむ。

そのまま布団に直行しなければいけないくらい疲れる。

だるいだるいだるい。

でもそのくらい身体が固いのだろう。

そのことを自覚した。

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これから歩いていく道

自分はそれがいつもであり、普通の状態だから気がつかなかった。
自分が常に緊張状態にいることを。
この状態が普通じゃないことをちゃんと自覚し、意識する。

常に固くなっているから、とても疲れる。
何をしていても常に疲れる。
寝るのは大好きだが、
寝ていても悪夢を見てばかりだから疲れる。
身体が固いから心も固い。
心が固いから身体も固い。
この悪循環を変えていかなけれればいけない。
身体をほぐすことをすることと、自分自身を気持ちよくすることを
いっぱいする。

緊張状態で力むから声も震える。
力まないで、力を抜いて楽にすることをもっと意識する。
楽に生きるのが一番なのはよくわかるから。
本当の意味の「楽」を目指すのが幸せなことだとわかるから。
そのための努力が必要だ。
病気の人生なんて懲り懲りだから。
病気にならない人生に進んでいく。
病気がならないだけじゃなくて、
自分で自分が幸せに思える人生をつくっていく。
今までの50年は、歳ばかり重ねたが、何も成してないし、
何も残せてないし、楽しいと思えることもあまりない。
すべてを消極的に生きてしまったから。
これから積極的に楽しむことをしていく。
そうしなければ、先は無い。
さらに体力に無い老人になる道しかなくなる。
このまま死んでいいのか。
それはただ悔いが残りばかりだ。

老人になる前のこれからの10年、
今までの50年分を取り戻すようにしっかり生きる。
精一杯楽しむことができるように生きる。
そのためには、時間が無いことを意識して、
毎日毎日を大切にして行動していく。
興味をいっぱい持って、貪欲になる。
自分の心に太陽を持って太陽の光を浴びさせる。
おしゃれを楽しんで、歌を楽しんで、絵を描くことも楽しむ。
ステージに立つことも楽しみにする。
目標が見える。
見えた道に向かって、ちゃんと行動して進んでいく。

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一年を振りかえって

この一年を振り返ってみると、
全体的にはいい年だったなって思う。

父のことでは、悲しい思い、恐い思い、ぶつかり合いもあったけど、
そういう悪いこともそれを通して、今までで一番いい関係に変わっていけた。
悪いことが良いことに変わることを経験として学ぶことが出来た。

歌も、一年前のコンサート後はもう二度とコンサートなんてしたくない、
歌も止めてしまおうと思ったけど、
やっと最近、気持ちいい歌の歌い方が、解かりかけてきた。
まだ気持ちいい状態じゃないけど、このまま続けていけば、
きっと気持ちよく歌える、楽しく歌えるんじゃないかという感じが見えてきた。

その違いは、自分の可能性をまるっきり諦めていて、
今までの自分に囚われて執着していたか、
囚われなくなったかの違い。
今からじゃ変われないと諦めるか、可能性を信じるかの違い。

新しい自分を発見するのは喜びなんだと気づくことができた。

この気持ちは、この八年のなかでも、一番いい感覚だ。

この感覚がやっとのやっとで、出てきたことを、まず楽しもうと思う。

そして、まず、私は体力が無さすぎる。
それを意識してつけていこうと思う。

自分を表現することも、まるで諦めていたけど、
「表現すること」に積極的に向き合い、自分を追い詰めて闘う。

私には時間が無い。
それなのにこの世に残せているものが何も無い。
今まで何も産みだしたものが無い。

だから、これからの時間を、そのことに使っていくこと。
そのことを始めていく。
今年から、気持ちを新たにして、始めていく。

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