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表現したい衝動

「アール・ブリュット/交差する魂」展を観てきた。
スイスにあるコレクションと、日本のアウトサイダー・アートが
初めて一緒になって企画された展覧会だそうだが、
作家のいろんな思いがストレートに伝わってくるもの、
どんな思いでつくったのか考えさせられるもの、
細かさや集中力にただただ感心するものなど、
ひとつ一つに釘付けになったし、面白かった。

画家として有名な人達ではないし、画家を目指しているわけでもない。
世間に評価されたくて描いているのでも、誰のためでもない、
ただ純粋に、自分が描きたいから描く。作りたいから作る。
書きたいから書く。それだけなのだ。
自分だけの欲求。自分だけの中で完結している作品。
美術史に残っている作家や現在評価されている作家のような、
上手さや、表現力や、楽しませるような作品ではない。

でも、こうして見ていると、どの作品にも惹かれる魅力がある。
それはなんだろう?
表現の原点。
表現したい衝動。

「日記」という作品は考えさせられたし、本当に美しかった。
日記という題も周りの人がつけたのだろう。
本人は、毎日、ただ、ひたすら書くことだけの欲求なのだろう。
もし施設の一人の職員が見つけなかったら、自分でも捨ててしまっていた作品。

これが表現の原点なのだと思った。

ただ、自分が書く行為そのもの。それだけだ。

人が動物と違うこと。
食べる、寝る、子孫を残すだけじゃないそれ以外の行為。その中の一つが

物を作ったり表現することだと思う。

どうして、私達が感動するのか、
作品には、共通するものがあるような気がする。

それは、普通の人間には無い途方も無い集中力。
細密さ。繊細な感性。
作品に集中するエネルギー。
その衝動は、何故か、ほとんどの作品が、空間を埋め尽くす。
空いた空間。間が無い。
細胞が増殖するような感覚がある。
空間に押し込められるような感覚は、同時に、増殖していく感覚もある。
このエネルギー、生命力に圧倒されているのだろうと思った。

だから、出来上がった作品は、人を感動させる。
それは形の稚拙さを押しのける。
自分を表現しようとする行為も欲も無く、画家達のような表現力もない。
なのに、作家の表現への思いは、観ている私に伝わってきた。

そして、自分自身を振り返させられる。

私が美術の学校に入ったのも、小学校の担任に絵を誉められたとか、母が絵が好きだったから、気に入られたいとか、そんなポーズからだったと思う。

もちろん、絵を描いている時間は楽しい。でも、評価されたい気持ちばかりで、下手な自分が認められず、描くことを止めてしまった。

自分からの表現したい衝動が突きあがってこない。いてもたってもいられないような衝動が無かった。

でも本当は、そんな衝動に突き動かされたいのだ。

心を病んだ人が絵を描くのも、岡本太郎が絵を描くのも、衝動があるからだ。

それには自分を突き詰めていくことなのだと思う。

そうしなければ、一生絵は描けないだろう。

衝動の起こっていない私は、まず、毎日手を動かす。

ヌード・ポーズの本を買ってきた。毎日デッサンする。

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